深夜の肉体労働

 先週初めから訪れた雨期、気温がぐっと下がり、凌ぎやすい気候になったが、その一方で舗装されていない道路を歩くことに難儀を感じるようになった。ミャンマー人は男女共裸足に草履のスタイルが一般なので、特段の不都合は感じないようだが、靴下と革靴でないと仕事にならない日本人にとっては極めて厄介な季節の到来である。そうした中、わが社のコンドミニアムが面しているザヤティリ通りが舗装されることとなり、工事が始まった。まことに喜ばしい限りである。日本の道路のようなアスファルト舗装ではなく、先ず道路の両側各50cmを残し、長さ約10m毎に高さ10cm程の木枠で囲み、そこに砂利を敷き詰め、その上に、コンクリートを流し込んで、固める非常に簡単な工法である。お蔭で1週間もしない内に、会社のコンドミニアムの前も新しく舗装された道路になった。

<コンクリートで舗装されたザヤティリ通り>

<修理中の側溝>

 道路工事に合わせて、道路脇の下水道も赤レンガを敷き詰め、コンクリートで固める工事も進んでおり、これでやっとヤンゴンの都会に相応しい道路になるものと期待している。こうした道路の整備工事の開始と期を同じくして、コンドミニアムの正面玄関に赤レンガが高く積み上げられた。この赤レンガの山も側溝整備の為に準備したのであろうと思っていたが、コンドミニアムの前の下水道が完成したにも拘らず、レンガは使われることなくそのまま、山積みされた状態で放置されていた。場所的には通行を妨げるところでもなく、かつ整然と積み上げられているので、コンドミニアムの住人も、道行く人も特段の違和感は無かったと思われる。

<コンドミニアム入り口に積み上げられた赤レンガの山>

 さて不思議な事件が起きたのは先週末である。仕事を片付け寝室に入り、ベッドに横になった夜の23時30分頃から、上の階で子供達の騒ぐ声と床に何かを転がすような大きな音が聞えてきた。「ドスン、ドスン」という天井に響く音で、何か重いものを床に落としている様子なので、とても落ち着いて寝られる状況ではない。7階に住んでいた部屋のオーナーがシンガポールに引っ越して行き、空き部屋にはインド人が借り手となって住み始めたとの噂を聞いていたので、新しく居住し始めたインド人家族が、インテリア工事でも始めたのかな?と思ったが、それにしても真夜中にそんな工事を始めるというのは余りにも非常識であり、考えにくい。それに、昼間には全く静かな7階が、夜中になって急に多くの子供達の声で溢れるのも不自然な気がする。7階の部屋まで上って行ってインド人の住人にクレームをつけようかとも考えたが、多勢に無勢の状態でイザコザに巻き込まれることにも一抹の不安があったので、我慢するしかないか等と色々考えている内に、やがて睡魔が襲ってきたらしく、その日はいつのまにか眠ってしまった。

 翌朝起きた時には、昨日の深夜の騒音のことはすっかり頭の中から消えてしまい、日中は多忙な日常生活に追われる生活に戻っていた。社員に昨夜の騒音について話すことすら忘れていた。夜も更け、いつもの時間にベッドに入った途端、それを待っていたかの如く、昨夜と同じように子供達の声と床に物を転がす大きな音が聞えてきた。こんなことが連日続くのであればたまったものではない。ついに意を決し、7階の住人にクレームをつけることとし、ベッドから離れ、着替えを済ませると、暗い階段を7階に上って行って驚いた。7階の踊り場には中学生くらいの女の子達が7~8人たむろし、エレベータで7階まで運んできた赤レンガを屋上に運んでいたのだ。7階の部屋はしっかり鍵がかけられ、人が住んでいる気配はなかった。子供達は7階止まりのエレベータで運んだ赤レンガを2〜3個ずつ抱き抱えて、繰り返し屋上に運んでいた。
 一体何のためにこんな子供達が深夜になって肉体労働をやっているのだろう?子供達は私の姿に驚いた様子だったが、特に何か危害を加えるような様子もなかったということで、安心したのか、何事もなかったかのように作業を続けた。
興味にかられ、私は子供達の後について屋上まで上ってみた。約300㎡の広さの屋上には植木の鉢を集めた庭や、洗濯ものを干すための広場があり、広場の前には戸建て住宅のような三角屋根のペントハウスが1軒建っていた。子供達はそのペントハウスの中に赤レンガをせっせと運び込んでいたのだ。彼女達以外、監督者らしい大人の姿は見えなかった。ペントハウスの奥まった場所に赤レンガがうず高く積まれていた。

<ペントハウスの奥に詰まれたレンガの山>

<屋上の広場の植木>

 彼女達は黙々とレンガ運びを続けた。深夜に肉体労働に勤しむ子供達の姿に目を奪われて屋上に佇む私の姿を見て何を思ったのか、1人の子供がペントハウスの中から椅子を運んできてミャンマー語で何かを喋った「ここに座りなさい。」と言ったに違いない。すっかり眠気も失せ、クレームをつける気持も吹き飛んで、子供に用意して貰った椅子に座り込んで、「ここで一体何が起きているのだろう?」と考え込んでしまった。
 「この女の子達はどこからきたのだろうか?」「誰が彼女達に肉体労働を強いているのだろうか?」「何故深夜にこんな肉体労働をしなければならないのだろうか?」「これだけ多くのレンガをなにに使うのだろうか?」等など疑問が次々に浮かんできたが、何一つそれらしい答えは思い浮かばなかった。

<深夜の肉体労働を笑顔でこなす少女達 >

<深夜の肉体労働>

 いつ終わるとも知れない彼女達の作業を最後まで見届ける訳にもいかず、写真に納めて部屋に戻り、ベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。眼前に繰り広げられた光景が素直には受け入れられないものだったからであろう。
 翌朝、コンドミニアムの玄関先に積まれていたレンガがどうなっているかを確かめるために玄関先まで下りて行ったが、そこには、半分崩れかけた少量のレンガの破片だけが置き去りにされていた。続いて、ペントハウスのその後を確認すべくエレベータで7階まで上がっていったが、7階のエレベータホールから屋上に上がる階段は、鍵のかかった鉄柵でしっかり閉ざされていた。

<残されたレンガの欠片>

<閉ざされた屋上への階段>

 「彼女達は今頃何をしているだろう?」、「学校にも行けずに、毎日このような深夜労働に駆り出されているのだろうか?」謎は何一つクリアにはならなかったが、以下のようなことが頭に浮かんだ。ビルのオーナーがペントハウスの内装工事を始めるために大量の赤レンガを発注し、それを屋上まで運び込むために人材ブローカーに安価に使える子供のワーカーを頼んだのだろう。子供のワーカーを昼間に肉体労働させていると世間の目につき、当局から摘発される恐れがあるので、ブローカーは子供達を集め、深夜にこっそり肉体労働をさせているのではないか? 民主化が進み、急速に発展を続けているミャンマーの中で、そうした発展から取り残されている人達が数多くいるという痛ましい現実を直視させられる出来事であった。


2015年5月31日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫