2回目の日曜日を迎え、日本人会への加入に関する事前調査を兼ねて、会社の近くのレーダン駅から日本人会事務局が置かれているKAN KAWホテルの近くのシャンラン駅まで、環状鉄道を利用した。環状鉄道はヤンゴンの南に位置するダウタウンの入り口に近いヤンゴン中央駅を起点にヤンゴン市の外周を一周する国鉄で、東京の山手線のような位置づけである。全長は45.9Kmで38の駅から構成され、一周の所要時間は3時間とのことである。動力はジーゼル機関車で、客車はイギリス製、ミャンマー製、日本製の混成である。
会社から駅までは買い物客でごったがえす路上市場を抜けて徒歩約10分で到着。田舎の駅舎の雰囲気で、駅前にも路上の果物屋が店開きをしていた。
改札口は無く、駅の案内図や時刻表も全てミャンマー語で書かれているため、手探り状態だが、駅員に英語で行先を告げると、切符を切ってくれた。料金は200Kyat。
駅員は10;33発だと言って、切符に出発時間を書き込んだ。33分というのはミャンマーらしくない細かな表現だと感心したが、31分に列車が接近して来て、列車を待っていた乗客が一斉に立ち上がったが、その列車は停車することなくそのまま通過して行ってしまった。然し誰も文句ひとつ言わず、次の列車の到着をのんびり待つ姿勢を取っていた。 これがミャンマー流儀なのかもしれない。それから待つこと約15分で、次の列車が近づき、今度は停車した。ゆっくり入線し、ゆっくり出発するので、停車時間はせいぜい10秒程度と極めて短時間である。降車客は停車する前からパラパラと降り始め、乗車客は動きだした後も、飛び乗る感じである。
車内は余り混んでなく、立っている客はまばらであった。次の駅で1組の夫婦が下りたので、空いた席に座ったが、横に立っていた若いカップルの内の男性の方が、当然のように、私の横に座った。夫婦の座っていた後に男2人が座ったので、非常に窮屈となったが、若い男は気にする様子もなかった。また、立ち続けている恋人に気を遣う様子も示さなかった。どうやらその男は、年長者や、女性を大切にすると言った躾け教育を受けていないようであった。
車内は日本のような広告は一切なく、至って簡素であった。改札が無いので、無賃乗車のチェックはどうするのか気になっていたが、途中の駅で、2人の車掌が乗車して来て、乗客全員の検札を行い、下車していった。
目的地のシャンラン駅までは南に向かった5駅で、所要時間は約30分であった。下車した後、日本人会事務局で日本人会の活動内容、会員の状況、入会のメリット等を聴取した後、KAN KAWホテルから徒歩で、西に向かいダウンタウン経由でカンドージ湖まで歩き、公園内のプールで泳いだ。 帰路は、再びヤンゴン中央駅まで歩き、復路はヤンゴン中央駅から環状鉄道の外回り線での帰路についた。
ヤンゴンの鉄道の歴史は古く、1877年から一部の路線が開通している。中央駅の駅舎は戦後すぐの1947年に着工され、1954年に竣工したそうである。正面は中々立派で、ミャンマーの伝統的な建築様式で設計されており、屋根にパゴダのイメージをあしらった金色の装飾が、夕日に映えて輝くとこの上なく美しい。
ただ、駅舎に一歩入ると、外観からは想像できない簡素な内装になっており、ホームの中は食料、果物、飲料、装飾品等など様々な商品の物売りが座り込み、大人しい野良犬がうろつき、途端に田舎の駅の雰囲気を醸し出す。 電車の到着や出発もスケジュールに沿ったものではなく、列車が入線する度に、乗客が右往左往する様子を見ていると、歴史ある鉄道も、発展や進歩から取り残されると、前時代の遺物となってしまうと言うことを示している。日本のJRがインフラの整備に向けて支援を始めるとの情報もあるが、近代化には程遠い道程と感じる。
帰路は夜の旅となったが、車内は薄暗い蛍光灯がところどころでともる程度で非常に暗く、乗客も列車の旅を楽しむ雰囲気ではなかった。乗降口や窓は全て解放されており、エアコンが無いのは勿論であり、照明も薄暗い蛍光灯が申し訳程度に点灯しているだけなので、車内は非常に暗かったが、6時40分を過ぎて出発した列車の窓からは涼しい風が流れ込み、時速20Kmで走るゆったりとした列車の旅もまんざらではないと感じた。
2014年8月17日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫