チャイティーヨーパゴダへの巡礼(その3)

 2014年1月2日(金)チャイティーヨー山頂のホテルでの1夜が明けた。備え付けのエアコンは暖房が利かず、寒さで夜中に何度も目が覚めたため、余り眠った気がしない。ホテルの食堂は吹き曝しのベランダで、谷から吹上げる冷たい季節風が夏服の身体に容赦なく吹き付け、凍える思いをいた。南国とはいえ、1月は1年中で最も気温が下がる時期で、おまけに海抜1,100mの山頂ともなると流石に気温は下がり、冷たい強風が体感温度を更に低くした。それでも食堂からの雄大な眺めは寝不足の目にも焼き付いた。

<ホテルから北を望む>

<ホテルから南東を望む>

 朝食を終え、身支度を整えた後、巡礼の仲間と落ち合って、今日1日の行動計画を確認した。今日は体力に自信のある者、それに信心深い仲間が麓の渓谷まで下り滝行をした後に再び山頂まで登る計画である。麓には例のトラックバスの停留所があるので、徒歩での登りに自信のない人はトラックバスを利用することとなった。総勢14名が全員徒歩で下り、その内6名が帰りも徒歩で登るとこになった。私以外は全員20代から30前半の若者である。一行は午前10時パゴダの脇から麓に続く獣道を下り始めた。岩の多い急坂で、足元のコンディションが悪く、ロンジーにゴム草履の格好での下山は難儀を感じたが、途中で引き返す訳にはいかない。道の途中には小さなパゴダがそこかしこにしつらえられており、敬虔な信者はその前でのお祈りに余念がない。特に感心するのが、若者たちのお祈りの姿である。日本では決して見ることのできない姿である。草履を脱ぎ、土下座をして体を地に伏して一心に祈る姿に信心の深さを感じる。
 太陽が昇るに連れて気温はどんどん上がり、強い日差しが容赦なく照り付ける。空気が透明で、乾燥しているせいか、寒暖の差が非常に大きい。滑らないようにと足を踏ん張る身体に汗が滲む。振り返ると、山頂の金色の巨岩のパゴダが次第に小さくなっていった。

<下山途中の仏陀の像に祈る>

<遥かに望む金色の巨岩のパゴダ>

 休憩しながら山を下ること約2時間。トラックバスの通る広い山道に出ると、やがて密集して林立するパゴダとその脇の僧院に通りかかった。僧衣を纏った立派な風体の僧が修道院から出てくると、仲間がいきなり道端に寄り、僧に対し土下座をして敬意を表した。突然の事だったので、只々呆然と見とれるしかなかった。そしてふと「ビルマの竪琴」の1シーンを思い起こした。戦地から逃れた水島上等兵が、川で沐浴していた僧の僧衣を失敬して、身に纏い、ふらふら歩いているところに通りかかった農民が、土下座をしながら僧衣の水島上等兵に食料を捧げるシーンだ。正にそれと同じシーンが眼前に展開されたのだ。

<麓の無名のパゴダ群>

<僧に敬意を表する仲間>

 僧院に入ると、右手に祭壇が設けられ、その前に高僧が坐して信者からの寄進を受け乍ら説教していた。一方左手の広間には丸テーブルがいくつか並べられ、信者達が食事を摂っていた。この僧院では菜食メニューの食事を信者に無料で振舞っているとのことであった。ありがたく食事を頂き、お布施を済ませて祭壇のある広間の片隅で、お祈りをしていると、仲間が「高僧が近くに来いと呼んでいるよ。」と肩を叩かれた。ミャンマー人にしては立ち居振る舞いがおかしいと思ったのか、高僧は私に興味を抱いたらしい。色々話しかけられた後、「70歳を越えた人とは思えぬ若さを感じるが、秘訣は何か?」とか、「日本人にしては色が黒く、まるでミャンマー人のようだが、その理由は?」等、色々質問された後、24個の白い珠と3個の茶色の珠が連なる数珠を頂いた。

<僧院の祭壇と高僧>

<高僧から頂いた数珠>

 数珠の24の珠の一つ一つには古いミャンマー語で短い言葉が記されていた。 「ヘイトゥピッサヨウ」「ルラマナピッサヨウ」「アディパディピッサヨウ」・・・・・・・。
意味はさっぱり解らないが、仏陀の教えを表す呪文らしい。ミャンマーの子供は物心がつく頃になるとこのような数珠を与え、毎日数珠の珠1つ1つを捻りつつ呪文を唱えながら、仏陀にお祈りすることを日課にしているそうである。「三つ子の魂百まで」というが、ミャンマー人の信仰心はこんなやり方で受け継がれていっているのかもしれない。
 僧院を出て更に山を下っていくと、やがて谷底から水の流れる音が聞えてきた。渓谷が近い証である。最後にぬかるんだ急坂を下り、工事中の階段を下りたところが滝壺の入口であった。勢いよく落ちる滝の水が岩に砕けて飛沫となり、太陽光でキラキラと輝いた。ヒンヤリした空気が汗ばんだ身体を易しく包み、疲れを癒してくれた。ミャンマーにもこんな癒しの渓谷があったのだ。15メートル四方程度の然程広くない滝壺では若い男女が水浴びを楽しんでいた。我々の仲間も滝壺の脇の休憩所で早速水着に着替え、滝壺に入った。「冷たい!!」予想以上の低い水温に遊び心を削がれたようだったが、それでも皆は意を決して冷たい水に身体を沈めた。然し、仲間の殆どは5分も経たない内に逃げるように水から上がって、ガタガタと震えていた。これでは滝行にはならない。私は皆を鼓舞し、「短時間でもいいから、滝の水を直接浴びよう。」と誘い、滝壺の直下まで皆を誘った。身を切るような冷たい水の塊が、叩き付けるように身体に襲い掛かり、一瞬ひるんだが、足を踏ん張って、グッと耐えた。これまでに経験したことのない清涼感を覚えた。

<多くの信者が水遊びに興ずる>

<滝行に挑戦>

 すっかり汗も引き、身が引き締まったところで、聖なる山への帰還である。下ってきた道とは別のルートで山頂を目指した。太陽は中天にあり、最も暑い時間帯だったので、下り以上にきつい試練の登山となったが、心の軽さが、重い身体を後押ししくれたお蔭で、最後まで同じペースで登り切った。帰りの山道にはパゴダはみあたらず、替わりに多くの休憩所が冷たい飲み物を準備して登山客を待っていた。そんな中、所々でヤギ、鹿、ハリネズミ、猿、大蛇、熊など付近の山中で獲ったらしい獣の頭、皮、角等と共に、それらを原料とした怪しげな薬品や強壮剤等を所狭しと並べている薬屋があった。珍しいので記念撮影をと携帯を構えたら、マタギらしき店の主から制止された。「写真は駄目。」と言う。どうやら野生動植物保護地区で違法に野生動物を捕獲し、生計を立てていることを当局に知られたくないらしい。信者が大挙して集まる巡礼地は最大のマーケットであり、商売が繁盛するから、信仰より商売を重んじる人が国の法律や仏教の戒律を犯してでもこの商売をやっている訳で、宗教より商売を重んずる隣国辺りからの入れ知恵ではなかろうか。殺生を禁ずる仏教国の、しかも神聖な巡礼地でこうした店が存在することに違和感を覚えた。
 約3時間をかけて無事山頂の共同宿舎までたどり着いた。充実した1日を過ごすことが出来た(続)。


2015年1月18日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫