ヤンゴンの通りを歩くと、そこかしこで餌をあさったり、昼寝をしている野良犬に出くわす。ひょっとしたら飼い主がいるのかもしれないが、首輪をつけていないので、日本人的解釈をすれば、れっきとした野良犬と言うことになる。そして周囲の人達も彼らの存在に対して特段の注意を払っている様子もない。完全に人と野良犬が共存している社会であることに疑いを挟む余地はない。犬種はミャンマー犬と言うことになるのだろうが、どの犬も例外なくスマートで、顔も長く、猟犬の雰囲気を醸し出しているが、非常に大人しく、どちらかと言えば人様に遠慮しつつ生きている雰囲気である。また犬同士の喧嘩にも出くわしたことがない。1日の大半を寝て暮らしているのではないかと思われる。
Myanmar DRKのオフィスの傍でも野良犬が溢れている。最近も隣のコンドミニアムに住みついている野良犬に子犬が産まれ、親子共々幸せそうに暮している。
また私がランチの際に良く利用しているミャンマー料理のお店には、必ずと言っていい程、野良犬が顔を出し、客が捨てる残飯を口にする。子供の尼さんがお昼を食べに入ってきた際も後からついてきて残飯を漁っていた。ただ、彼らは、決してお客に餌をねだったりはしない。レストラン内を足早に徘徊し、獲物にありつくと、さっと食べてすぐ店の外に出ていく。極めて行儀正しく、よく躾けられているように感じる。分をわきまえているせいか、太った犬にお目にかかることはない。どの犬も余計な贅肉は身につけていないのである。日本では太り過ぎて歩くのさえ苦しそうな犬をよく見かけるが、それは飼い主の過保護が原因であることは明らかである。また、人間と犬が飼い主と飼い犬という密な関係を持つことで、過保護や虐待と言った異常な事態が日常茶飯事の如く発生しているが、犬と人間が一定の距離を保つ野良の関係は、お互いが過剰に寄りかかることもなく、自立心を育み、ある意味理想的な関係なのかもしれない。
自立心と言えば、ミャンマーでは男女を問わず、子供の頃から剃髪した上で、出家をし、各家庭を托鉢しながら回る。子供達はこれによって自立心を養い、自分が社会で生かされていることを体験する。犬も生れついた時から野良として自らが生活の糧を得なければならない環境で育つのである。野良犬を見る度に、人間と犬との関係に関する日本とミャンマーとの違いを感じさせられる。
ある日、托鉢で訪れた子供の尼さんに対して、レストランで働く若いお兄さんが、お布施をする場面に出くわしました。お兄さんは、穿いていた草履を脱ぎ、笑顔でお布施をしていました。中身はお米のようでした。その横でお布施の様子をじっと見ている犬の姿が印象に残った。
ところで、こうした平和な環境で育つせいか、野良犬の数はどんどん増え続け、今では400万匹を超えるまでになっているそうである。
そして、野良犬に噛まれて狂犬病を発症し、命を落とす幼い子供や若者達の数が、年間1,000人を超える程になっていると言うから驚きである。国はこの問題を重く見て野良犬の駆除に乗り出しており、月間2,500匹程度の野良犬を毒入りの餌をまく方法で殺処分しているようだ。然しその政策に対し、国民の大多数は反対している。何しろこの国は敬虔な仏教国。生きとし生ける万物の命は尊く、殺処分などもっての外であると言うのが国民感情である。政府の殺処分の方法もお粗末で、毒餌で処分した犬をそのまま放置したままにしているのだ。政府関係者が毒餌をばら撒いた近辺の住民が野良犬を一時的にかくまったりするため、さしたる効果も出ないようだ。
こうした中、犬と人との平和的な共存共栄を目指して1人の女性獣医師が立ち上がり、ボランティアで野良犬に対する狂犬病の予防接種及び避妊薬の注射を始めた。野良犬をかくまって餌を与えているお寺のお坊さん達も彼女に協力的で、予防接種や避妊の注射は順調に進んでいるようである。また、彼女の活動に共鳴する人達からの寄付も集まり活動は大きく発展する方向にあるようで、非常に喜ばしい限りである。
2014年10月19日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫