チャイティーヨーパゴダへの巡礼(最終回)

 2015年1月3日(土)巡礼の旅の最後の日が訪れた。まだ星が輝いている午前4時にはホテルをチェックアウトし、合同宿舎に向かった。途中、土産物店が軒を連ねる狭い路地を通り抜けるのだが、各店は夜間に閉めた気配もなく、土産を売っていた。書き入れ時には24時間営業が当たり前のようだ。いよいよチャイティーヨーからお別れだと思うと、ついつい店に入って土産を買いたくなる。赤いハートマークとI love Kyaik Hti Yo(チャイティーヨー)の文字がプリントされたTシャツを買い、合同宿舎に入った。既に全員が身支度を整えていた。持参した食料は殆ど食べ尽したが、お土産を買った分、皆の荷物は大きくなったようで、手配していた50歳前後のスリムな歩荷が大きな籠に皆の荷物を詰め込んでいた。やがて身支度を終えた人から三々五々、共同宿舎を出て、大通りに入り、パゴダの長い境内を抜け、トラックバスの発着所までの約1Kmを歩いた。歩荷もたくさんの荷物を詰め込んだ50Kg程の竹製の背負子を背負い、途中何度か休憩しながら皆についてきた。境内は到着したばかりの巡礼の集団と、これから下山する集団が行き違い大変な混雑であった。トラックバスの乗り場で全員が揃うのを待った上で、来た時と同じ要領で順番に荷台に乗り込んだ。夜明けにはまだ程遠く、パゴダの上空の彼方には北極星と北斗七星が我々の動きを見つめるように瞬いていた。冬の夜空であった。
 56席が埋まったところで、トラックバスが発車した。下りの急坂を、トラックバスは転げ落ちるようなスピードで麓に向かった。急カーブや急坂にさしかかると、乗客の中から悲鳴や嬌声が漏れた。空が白み始める頃には麓のヤンキンの街に到着し、来た時と同じ休憩所に座り込んだ。寝不足からか、早速毛布を持ち出して横になる人達もいたが、元気な人達は道路に面したレストランで朝食を取り、街に買い物に繰り出した。店には様々な土産が溢れていたが、定番のお土産は果物をベースにした菓子類や、肉や魚の干物らしい。

<所狭しと並べられた土産物>

<ヤンキンの街並み>

 やがてヤンゴンから我々を運んでくれたバスが到着し、帰路についた。 最初に立ち寄ったところは、昨日滝行を行った渓流の下流に位置する川のほとりである。若者の男性だけが早速水着に着替えて水に入り、その他の人々は裸足になり浅い川の縁に沿って歩いていたが、その内水の中に入りたくなったらしく、着の身着のままで水浴びを始めた。やはり、清流は人の心を惹きつける魅力があるものらしい。

水遊びをする若い男性達

 小一時間水遊びした面々が着替えをしてバスに帰ってきたところで、最初に訪問したのはチャイポーロメッシンドパゴダである。メッシンドのメは、黒子を意味するそうで、たくさんの黒子を付けた仏陀が祭られていたが、余り印象にはない。それよりもその脇で寛いでいたお釈迦様の方が印象に残った。まるで茶の間でTVでも楽しんでいるようなリラックスしたお姿で、親しみを覚えるものであった。そして同じ敷地内に完成したばかりのパゴダが威容を誇っていた。これは、インドの4大聖地の1つブッダガヤの地に立つ大菩提寺と全く同じアーキテクチャで作られたパゴダである。ブッダガヤと言えば、仏陀が悟りを開いたとされる由緒ある聖地である。インド仏教とミャンマー仏教の強い繋がりを感じさせるものであるが、残念ながらこの地に建てられた経緯などは知る由もない。

<優雅なお姿で寛ぐお釈迦様>

<インドブッダガヤの大菩提寺風パゴダ>

 続いて訪れたのがシュエターリャウンパゴダである。所謂寝釈迦で、ヤンゴン市内にあるチャウタ―ジーパゴダとよく似た寝釈迦で大きさは、やや小振りの全長55mのパゴダである。1,000年以上の歴史を誇る寝釈迦で、バゴー王朝の滅亡と共に密林に埋もれていたが、イギリス軍の鉄道敷設工事で偶然発見されたらしい。このお釈迦さんは、日本では「ビルマの竪琴」の舞台となったことで有名であるが、映画のシーンでは周囲を囲う建物もなく、野ざらし状態だったように記憶している。それにお釈迦様の表情も当時の物とは異なるため、その面影は見られない。
 続いて最後の聖地であるチャイプーンパゴダを訪れた。それ程広くない正方形の境内を入ると。中央に四面仏東西南北それぞれ違った表情で座っていた。高さは27mと言うから、同じ坐像の奈良の大仏の2倍弱の高さになる。それが背中合わせで4体並んでいる姿は迫力満点である。ただ、ミャンマーの仏像のお顔は、どれも庶民的で、日本の仏教美術を代表する諸仏のお顔と比べると、余り深淵さは感じられない。深い瞑想や、悟りの境地に至る解脱と言うより、一般大衆に溶け込む親しみ深い人間味が感じられる。

<シュエターリャウンパゴダの柔和なお顔>

<チャイプーンパゴダ >

 2泊3日の巡礼地巡りは、敬虔な仏教徒たちにとってもかなり強行軍だったらしく、最後のパゴダでは、バスの中で休憩したままの人もいたようだ。そしてバゴーからヤンゴンまでの帰路の旅は、殆どの人が疲れ切った表情で、眠り込んでいた。やがて見慣れた街の佇まいに、到着が近いことを気付かされた巡礼者達は、楽しかった巡礼の旅を反芻しつつ、無事家に帰ってきた安堵感と、再び始まる日常世界に引き戻されたことへの一抹の空しさとが複雑に交錯する瞬間を味わったのではなかろうか。
 夕日が西の空に沈み、夜のしじまが訪れようとする夕方の6時頃、全員無事に出発地に帰り着いた。この歳を迎えて、非常に印象に残る巡礼の旅をさせて貰った。(完)

インドのブッダガヤの大菩提寺とうり二つの新築のパゴダ


2015年1月25日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫