一時帰国していた日本から3月中旬にヤンゴンに舞い戻ってきたが、短期間の内に季節は確実に夏に向かって大きく前進していた。朝夕はまだ涼しさの名残はあるものの、日中の太陽の日差しは半端ではなく、じりじりと皮膚を焦がすような強さであり、男性と云えども日傘なしで炎天下を歩くのは苦痛を感じる。あるミャンマー人はミャンマーの季節は雨期と乾期と暑期の3期に分かれると言うが、暑期と言うより熱期の表現が相応しい季節の到来である。
さて、いよいよミャンマーのお正月が迫った先週のある日、コンドミニアムの3階の住人が招待状らしきものを携えて会社を訪れてきた。我が社の開所式の際に招待者に配った封筒よりはるかに立派なものであった。全てミャンマー語で書かれているため、何の案内状か判らなかったが、社員が「これは、家族の誰かが仏門に入ることになったので、そのための儀式に参加して欲しい、との招待状である。」と説明してくれた。招待状に書かれた文字でかろうじて読み取れる数字を追ってみると、2015年4月12日の午前10時~12時とあるので、儀式は日曜日の午前中にあるらしい。場所は皆目見当がつかないが、それ程遠くは無いらしく、社員が、「この招待状をタクシーの運転手に示せば。現地まで連れて行ってくれるから問題ない。」と言う。
当日まで参加するかどうか決めかねていたが、せっかくのチャンスなので、思い切って出かけることとし、10時過ぎになって、ロンジーにフォーマルな黒の草履の出で立ちで部屋を出た。社員に言われた通りタクシーを捉まえ、招待状を見せ、行先を確認させた。運転手はすぐに判ったらしく、「OK 2,500Kyat!」と乗車を促した。
タクシーはユニバーシティ通りに入り、アメリカ大使館を通過しアウンサンスーチーさんの邸宅を過ぎた辺りで左折し、インヤー湖畔の近くの大きな敷地の中に入っていった。敷地の中には、いくつもの建物が立ち並んでいたが、その一つは4面の佛陀を祭った建物であり、どうやら僧院の本堂のような雰囲気であった。そしてその隣の建物の大広間では、多くの僧が床に座り込んで食事をしていた。
これらの建物の隣が得度式の会場となっており、既に多くの家族がテーブルを囲んで食事をしていた。ミャンマーでは、20歳までの間に一度得度して仏門に入り、僧としての修業を体験した後、社会人になってから再び仏門に入って修業するのが一般とされているようである。若い時の得度は1週間程度の短いもので、招待してくれた3階の住人の話では、正月休暇を利用して13歳になる息子を得度させることにしたと言うことであった。両親にとって子供を得度させることは、結婚させること以上に誇らしいことのようで、僧院に対する寄進や、関係者一同に振舞う食事の経費等、何年もかけて資金を貯めておかなければならないそうである。
得度した子供達は家から離れ、僧坊で他の僧達と厳しい集団生活をするようである。例えば、食事は午前中に制限されているため、1日に早朝と正午までの2回しか摂れず、午後からは食事はおろかジュース等の飲料すら飲むことが許されない。更に音楽やスポーツなどの遊びを禁止され、読書も仏教関係以外の書物は手にすることが出来ない。そして以下の10戒をしっかり守る教育を受けるようだ。
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
- 不淫戒(ふいんかい) – 性行為をしない
- 不妄語戒(ふもうごかい)
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい)
- 不塗飾香鬘戒(ふずじきこうまんかい) – 身体を飾らない
- 不歌舞観聴戒(ふかぶかんちょうかい) – 歌舞を観聴きしない
- 不坐高広大牀戒(ふざこうこうだいしょうかい) – 高広な寝台を用いない
- 不非時食戒(ふひじじきかい) – 午後から翌朝日の出まで、食事をしない
- 不蓄金銀宝戒(ふちくこんごんほうかい) – 蓄財をしない
子供の頃にこうした教育を受けることは倫理意識を高める上で、非常に重要で、日本人の子供達にもこうした教育の機会が与えられれば、健全な子供がより多く育つのではないかと感じた。
ところで、食事の会場には、得度した子供達の姿はほとんど見当たらなかったが、6~7歳くらいの坊やが2階と1階を登ったり下りたりしていたので、恐らく2階に得度した子供達が集まっているのだろうと予想し、2階に登ってみたら、案の定、得度したばかりの子供達の姿があった。
ご馳走になった食事を終え、帰ろうと招待者に挨拶をしたら、すぐに得度したばかりの息子を呼んで、記念撮影に応じてくれた。2人の晴れやかな顔が印象的であった 。
僧院からは徒歩で帰路についた。長いお正月休暇を迎える4月のこの時期には、黄色の花があちこちで見られる。ミャンマーの国花がパダウの花で日本人にとっての桜の花に相当するようだが、高い木の上で咲くため、余り目立たない。一方タイの国花とされるゴールデンシャワーは、花の咲く姿が藤の花によく似ていて、非常に人目につく花である。