洪水被災者への義援金

 8月に入り、本格的な雨期の到来を示すかの如く、ミャンマーの北西部ラカイン州やチン州周辺では大量の雨でイラワジ川が氾濫し、周辺の居住区や農地が水没する大災害に見舞われた。
 この大量の雨をもたらしたのは単なる雨期の雲ではなく、インドからバングラデッシュにまたがる広大な地域を襲ったサイクロンによるもので、地球規模で発生している異常気象に起因していると思われる。そして、ミャンマーでの死者は46人、被災者は20万人にのぼるとの発表がなされている。


<軒下を越えて冠水し孤立する民家>

  政府は国を挙げて人命救助や被災地域の復旧を試みているようだが、道路が分断されているため、思うような救助活動が出来ない状況のようである。元々、川の近くの民家は水害に備え、高床式の民家を建てている地域も多いようだが、それでも、ここまで水量が増すと、高床が意味をなさない程の水位の上昇である。水量の少ない地域であれば、救助のためのボートが活躍でき、被災者の心にも多少のゆとりが出る。


<救助隊の船>

 幸い南部に位置するヤンゴンでは、大雨が降り続いたとはいえ、被害は低い土地の道路の冠水とその影響によるとみられる交通渋滞程度で、大きな被害を蒙ることにはならなかった。
 然し、北西部の水害の情報が浸透したここヤンゴンの街は俄かに賑やかになった。それは義援金を求める団体の行進である。先頭には、集められた義援金と石ころを入れた大きなボウルをガサガサと揺するユニフォーム姿の係員が歩き、それに続いて拡声器を搭載した小型トラックが、大音量で義援金の提供を呼びかけたり、明るいリズミカルな音楽を流したりしながらゆっくり走行していった。こうした団体が街のあちらこちらで見られるようになった。また、ちょっとした広場では楽団が舞台を設営して生演奏を行って道行く人の足を止め、寄付を呼び掛けると言った具合で、まるでお祭り騒ぎの様相である。それぞれの集団はどこかの団体に所属しているらしく、募金箱、制服、車のデコレーションのそれぞれに、ミャンマー語で団体名が記述されているようであるが、多くは仏教団体との繋がりがあるようで、僧の写真が飾られているのもが多い。


<広場に演奏会場を設営し、歌を歌いながら義援金を募る人達>

 こうした光景を眺めていると、ミャンマー人は根っから寄附の好きな国民性であることがわかる。そのルーツは仏教のお布施から来ているもので、生きている間にせっせと功徳を積み上げることが、来世の幸せな人生が約束されるとの思いが、彼等が行うボランティア活動の原点になっているのであろう。一方国の動きは非常に緩慢のようである。国家は慢性的に予算不足の状態に陥っており、突然降って湧いたような災害救助のための活動資金は元々持ち合わせていないのだろう。結局、政府の国民サービスの質の低さは国に対する信頼感を弱め、国民は政治家よりも仏教界の高僧の話に耳を傾ける性向になっていくのではなかろうか?
 ただ不思議に感じるのは、彼らの行動を見ていると、被災者に思いをはせると言った雰囲気は一切感じられない。と言うのも、大音量で鳴り響く音楽は、軽快なリズムで、今にも踊りだしたくなるような明るいもので、心が躍動する雰囲気を醸し出している。募金活動に勤しんでいる人達の表情もとても明るく、笑顔に満ちており、寄付会場の雰囲気は、お祭りの時に感じる高揚感が溢れているのだ。結局彼等は、濁流に家を流され、その日の生活さえままならなくなっている被災者とは無縁の人達であり、厳しい現場の生活実態を想像することも難しく、結局、功徳を積んだ自己の来世に思いをはせるのが自然な心模様となっているように見える。ここで集めたお金は果たして被災地まで無事に届くのだろうか?素朴な疑問が心をよぎった。


2015年8月9日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫