雨季に思うこと

 5月下旬から例年の如く雨季に入った。突然の激しい雷鳴と共に驟雨(しゅうう)が襲ってきた日をきっかけに、連日雨が降るようになった。日本では気象庁が梅雨入り宣言をすることで、市民は梅雨を意識することになるが、こちらでは雨が降り始めたら、毎日のように驟雨が訪れるので、気象庁の宣言を待つまでもなく、雨季の始まりを実感することになる。半年に渡る乾季とそれに続く暑気で燃えるような暑さだったヤンゴンの街も雨季の到来で一気に気温が下がり、最高気温も30度に達しない日が多くなり、とても過ごし易い。埃まみれだった木々の葉が雨水で洗われ、生気を取り戻す。暑さから逃れるために、路上駐車している車の下に潜り込んで死んだように昼寝をしていた野良犬達も、餌を求めて元気に闊歩し始める。

激しい雨

<激しい雨>

雨で生気を取り戻した木々

<雨で生気を取り戻した木々>

 雨季に入って1か月半を経た7月8日(土)のワゾーの満月の日は「雨安居入り」の日である。雨安居(うあんご)とは仏教用語で、それまで路上に出て托鉢を行っていた僧侶達が外出を止め、僧院に籠って修業に専念する期間を意味し、3か月間続く。10月5日(木)がダディンジュッの満月の日で、この日が「雨安居明け」の日となる。雨安居の期間は僧侶が修業に専念するだけではなく、一般の人達も思い思いの慎ましい生活に務めることになる。例えば、自分の家族の人の生まれた曜日は肉食を断ち、菜食に徹する。結婚を始め、旅行や引越し、完成した自宅の落成式等も全て控え、ひたすら寡黙に生きるのである。この習わしは、遠く佛陀の存命中にまで遡るようで、恵みの雨のお蔭で芽吹いた草木の新芽を踏みつけないよう、蟻を始めとする小動物達を無意識に踏みつけないよう、生きとし生ける物に対する思いやりの心を育むことをその狙いとしているようだ。

路上を歩く元気なトカゲ

<路上を歩く元気なトカゲ>

修業中の僧侶達

<修業中の僧侶達>

 宗教的な営みはともかく、多量の雨は社会活動・経済活動に様々な問題を投げかける。最も身近な問題は道路の冠水である。街の至る所で道路が冠水すると、慢性的な交通渋滞は益々激しくなり、顧客との打合せやイベントへの参加を目的とした外出は厄介である。約束の時間に目的地に到着するのが非常に難しいのだ。ヤンゴンの街は40年前までは地下に排水用のパイプが張り巡らされていて道路の冠水の発生を食い止めていたようだ。こうした地下のインフラはイギリス統治の時代に整備されたようだが、その後のメンテナンスがなされなかったため、いつの間にか機能しなくなったようである。厄介なのは道路の冠水に留まらない。低地に位置する大学ではキャンパスの中まで水が襲ってきて床下浸水の危険が迫る。勿論通路は水に浸かり、教授や生徒達はロンジーをたくし上げながら水没した通路を移動する。

道路の冠水

<道路の冠水>

UITのキャンパス内の通路

<UITのキャンパス内の通路>

 去る7月10日~12日にかけてシャングリラホテルで開催された日立製作所主催の「第14回日立ヤング・リーダーズ・イニシアティブ」に参加する機会を得た。そこでは、スマートシティ、新都市交通網の整備、環境都市の構築に向けたアジア各国の取組みが紹介された。ヤンゴンは2040年には人口が2倍に増加することから、現在の市街の西側を流れるライン川を越えた西域一帯の開発を進め新しい都市空間を整備する壮大な計画が立案されているようである。新たな都市ではインフラの整備が進み、道路網を始め鐡道網も完備され、河川の整備も進み海上輸送網も完備されるであろう。雨季の大雨に対しても万全な対策が進み、道路の冠水は昔話となるだろう。こうした新しい都市の実現が夢ではなく、現実の姿となることを祈りたい。

HYLIのパネリストの皆さん

<アジアの8か国で選抜された32名の大学生>


2017年7月22日(土)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫