ダラ地区の孤児院を訪ねて

ミャンマーにやって来る日本人観光客が次第に増加するにつれて、観光地巡りのみでなく、孤児院を訪問し食糧や教材の寄贈、建屋の改修費用を寄付する人が現れるようになってきた。現在の新型コロナ感染の影響が出る以前のことですが、ミャンマー人の知人から日本人の友人がダラにある孤児院を訪れるので同行しないかとの誘いを受けた。これまでヤンゴン駐在期間中、孤児院を訪問する機会は一度もなかったので、二つ返事で同行させて貰うこととした。

ミャンマーの最大都市ヤンゴンは、2014年8月に実施された国勢調査によると人口は736万人に上り、文字通りの大都会である。ヤンゴン市は33のタウンシップ(街区)から構成されるが、ヤンゴン管区の南部を東西に流れヤンゴン川の対岸に当たるダラ地区はその中で最も貧困の街ということで知られている。1家族当たり一週間の生活費が5,000チャット(約350円)と言うからその貧しさは想像に難くない。

ヤンゴン側の南岸に広がるダラ地区

ヤンゴン側の南岸に広がるダラ地区

ヤンゴン川

ヤンゴン川


さて孤児院訪問に際し、まだヤンゴンに到着していない日本人観光客から事前に現地の状況を教えて欲しいとの要望があった。孤児院に寄贈する土産物の準備や、訪問時に振舞う食事のメニューを予め決めておきたいと言うのが情報収集の目的である。孤児の数や年齢層は?日本の子供達が喜んで食べるカレーを振る舞いたいので、カレールーを持参したいが、孤児院には十分な広さのキッチンがあるのか?孤児院の近くには食材となる肉、タマネギ、ジャガイモ、人参等は簡単に購入できる店があるのか?等々が主な質問内容であった。
勿論初めて足を踏み入れる、我々もそう言った情報は把握できておらず、結局友人の会社の女子社員が事前に足を運んで、孤児院及び周辺の状況を確認することとした。その結果、孤児は3歳~12歳の男児女児合わせて24人、台所は狭く、調理できるスペースはない。近くに市場や店もない等々、来緬する日本人観光客のイメージするような環境とは程遠く、カレーを食べさせたいのであれば、ダラ地区に渡る前にヤンゴンの街中で事前に調理し、それを大型の食缶に入れて現地まで運ぶしか方法がないことが判明した。結局日本食の料理学校の先生にお願いして前日に30人分のカレーを仕込み、彼女の所有する食缶に詰めて、ダラ行きの渡し船の出る船着き場までタクシーで運ぶこととなった。

ダラへ行くための大きな渡し舟3隻は2014年に日本が寄贈したもので、川幅約2Kmの流れの早いヤンゴン川を20分おきに運航している。ダラの街とヤンゴン中心地との人の往来は非常に活発のようで、船内は多くの乗船客で賑わっていた。パンソダンの船着き場には地元民用と外国人用とに分かれた広い待合室があり、その片隅にチケット売り場があった。そこでは乗船名簿が準備されており、自筆のサインと国名を記入する欄に日本人である旨を記入すると、係官は「日本人であれば、船賃は無料だよ。」と説明してくれた。日緬友好の船なので、外国人の中でも日本人だけは特別無料の扱いにしているとのことであった。

乗船待合室

乗船待合室

渡し船に乗込む

渡し船に乗込む


船内の風景

船内の風景

日本からの寄贈を示す表示板

日本からの寄贈を示す表示板


船が岸を離れると、10分もしないうちに対岸のダラの船着き場に到着した。両岸とも船着き場周辺には多くの物売りが屯しており、大変な賑わいであった。またダラ側の船着き場にはザイドカータイプの人力車(サイカ)が待ち構えており、船から降りて来た客を捉まえようと盛んに勧誘してきたが、我々は予め予約しておいたサイカで孤児院に向かった。道路の両側に広がる景色はヤンゴンの街中とは全く異なる田舎の雰囲気である。建物もほとんど全てが建築物と言うよりは小屋と言うに相応しいみすぼらしい建物で、まるで別世界に来た雰囲気である。

ダラでサイカに乗込む

ダラでサイカに乗込む

孤児院に向かう

孤児院に向かう


20分程で孤児院に到着した。24人の孤児の中の年長の数名が孤児院の建屋に繋がる路地まで繰り出し、笑顔で我々を出迎えてくれた。そして土産の入った段ボールやカレーの入った食缶を孤児院の中に運び入れるのを手伝ってくれた。残りの幼い子供達は建物の入口に繋がる外廊下に一列に並び、歓迎の意思を表示した。躾教育が行き届いていると感じた。

孤児院全景

孤児院全景

部屋に整列した孤児達

部屋に整列した孤児達


孤児院の中は板張りの広い部屋が1つだけの殺風景な造りで、24人の子供達は寝泊まりも勉強も食事も全てその部屋で行っているとのことであった。ただ、孤児の成長に伴い、女子と男子を同じ部屋で寝泊まりさせるのが難しくなるので、先々は別室を造成する必要があるとの話しであった。

日本から持参したお菓子、玩具あるいは学用品等の土産を一人一人に手渡すと、子供達は大はしゃぎで、めいめいおもちゃを取り出して遊び始めた。日本でお馴染みのけん玉、バトミントンセット、塗り絵その他様々な玩具は彼等にとってはとても珍しいものであったようで喜びを満面に湛えていた。

踊りで我々を歓迎する孤児達

踊りで我々を歓迎する孤児達

貰った玩具で早速遊ぶ孤児達

貰った玩具で早速遊ぶ孤児達


子供達への対応の傍ら、部屋の奥の炊事場でカレーライスを準備した。そしてひとしきり遊んだ子供たちを部屋の壁寄りに一列に座らせると、カレーライスを振る舞った。勿論彼等にとって日本のカレーライスは初めて口にする料理だったようだが、全員が大変おいしそうに食べてくれた。お替わりをする子供たちが続出し、準備した40人分のカレーは全て無くなった。

整列してカレーを待つ孤児達

整列してカレーを待つ孤児達

旺盛な食欲でカレーを食べる孤児達

旺盛な食欲でカレーを食べる孤児達


食事が終わり、孤児院の代表者に寄付金を渡し、孤児院をあとにすることとなった。この時も子供達はとても礼儀正しく、部屋の前に整列して我々にお別れの挨拶をし、手を振ってくれた。

家の前に並んで別れを惜しむ孤児達

家の前に並んで別れを惜しむ孤児達

手を振る子供達の屈託のない笑顔を見ながら、今日はいい一日だったと思うと同時に、「この子供達の将来はどうなっていくのだろう?」との一抹の不安が頭をよぎった。この孤児たちが成長し、やがて立派な社会人となって羽ばたいていくために欠かせない最も重要な課題は教育の機会を与えられるかと言う点である。教育を受けられないまま大人になると、希望のない貧困生活が待ち受けることになる。ミャンマーが順調に経済発展を遂げ、孤児院で育っている子供達にも適切な教育の機会が与えられるようになることを祈りたい。


2020年6月17日(水)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫