全世界で猛威をふるっている新型コロナウイルスは11月を迎えた今日においても終息の気配は全く見えていません。と言うより第2波、第3波が世界各国に襲い掛かっているようです。「ヤンゴンだより」でミャンマーでのCOVID-19について紹介したのは今から5か月前の5月中旬でした。3月23日にミャンマーで初めて2人の海外からの帰国者の中から感染者が確認されて以降、5月中旬までの新規感染者の増加のペースは極めて緩やかで、5月15日時点での累計感染者数は182人、死者の数は6人に過ぎませんでした。そうした状況を踏まえ、当局はレストランやジムの営業の再開を許可し、街には活気が戻りました。そしてこの状態は8月中旬まで続きました。1カ月当たりの新規感染者の数は70人前後で、その殆ど全てが海外からの帰国者に限られ、市中感染は皆無で、政府もCOVID-19は完全にコントロールできているとの自信を示していました。8月20日時点での累計感染者数は379人、死者は6人と言う状況だったのです。
然し、8月16日から20日にかけて、ミャンマー西部のラカイン州の州都シットウェで50人規模のクラスターが発生しました。実はこのクラスターが発生する2か月前の6月中旬にCOVID-19感染症対策本部長のアウンサンスーチー国家顧問が自身のフェイスブック上で「第2波はより困難なものとなる恐れがあるので、警戒を怠らないように。」と国民に呼びかけていたのですが、その呼びかけも虚しく、9月に入ってヤンゴン市内で第2波による爆発的な感染拡大が発生してしまいました。
10月末時点の累計感染者数は52,706人、死者は1,237人に達しています。第1波の終わりを迎えた8月中旬と比べ、感染者数は140倍、死者の数は実に206倍に達しているのです。ミャンマーへの第2波の襲来と、短期間での急激な拡大はどうして発生したのでしょう?これは言うまでもなく、8月中旬にラカイン州で発生した大型クラスターが引き金となったことは明らかです。
8月20日にはシットウェの住民に対する外出規制が出されました。更に自宅待機の規制はラカイン州の他の地方都市まで拡大され、27日にはラカイン州全域を対象としたものになりました。こうした政府の一連の対策に対し、市民は非常に敏感で、こうした規制をかいくぐって、ラカイン州からの脱出を試みた住民が数多くいたのです。クラスター発生情報が州内に広がり、規制の範囲が拡大されるに伴い、約270万人のラカイン州の住民の中の約7,000人が感染を恐れ、外出規制の出る前の一瞬の隙をついて一足先に国内便を利用してラカイン州から他の地域への脱出を図ったのです。彼らの殆どがヤンゴンを目指したようです。COVID-19感染症対策本部は国際便でヤンゴンに到着する乗客に対しては全員2週間の隔離措置を取り、PCR検査も行っていましたが、国内便でヤンゴンに入ってくる旅客に対しては無防備で、隔離や検査等一切の水際対策をしていませんでした。
シットウェとヤンゴン
感染者の推移
第2波が押し寄せる前から、COVID-19感染症対策本部はかなり厳しい規制を打ち出し、規制の緩和期限を延長、再延長と伸ばしてきていましたが、9月27日(日)にはヤンゴン市内全域を10月7日迄ロックダウンすると発表しました。幼稚園から大学に至る全ての学校は勿論のこと、民間の専門学校も全て閉鎖となりました。私の住んでいるコンドのすぐ近くにある路上市場でも何人かの売り子が感染したとの事で、路上市場全体が封鎖され、路上に様々な食材を並べて日銭を稼いでいたおばちゃん連中も突然仕事を失う事になってしまったようです。
これまでの規制の概要は以下の通りでした。
- 自宅待機(政府、政府関係機関、企業、工場での業務のために通勤する者を除く)
- 必要な物資購入の際は、1世帯につき1名のみ外出可
- 病院やクリニックに行く際は、1世帯につき2名のみ外出可
- 外出する際はマスクを着用
- 通勤者を送迎する車両と、通行許可を受けた車両のみ区外への移動可
- 区内で、車両で買い物する際は運転手の他1名のみ、車両で病院・クリニックに行く際は運転手の他2名のみ乗車可
と規定されています。また夜間外出禁止等もありました。外出禁止令を守らなかった400人余り、マスクを着けずに外出していた住民200人余りが警察に逮捕されたとの情報もあります。
そして9月8日になって対策本部は再びレストランの営業を禁止し、持ち帰りやデリバリーのみを許可しました。またコロナ感染者を受入れる病院を公立病院のみに限定せず民間の病院にも拡大するため、病院との協議を開始しました。9月11日には10月1日迄の期間、国内線全便の運休を決めました。これはヤンゴンの住民が他の地域に移動する事を禁じるための措置だったようです。そして9月20日にはエッセンシャルワーカ以外の会社員の通勤を禁じ、在宅勤務を命じました。銀行も約半数の支店を閉鎖すると同時に、3密を避ける目的で出勤する行員の数も半数に減らすことを指示しました。一方で軽症者の隔離期間を3週間から2週間に短縮しました。これは増加し続ける感染者を隔離する施設が追い付かなくなって来つつあることを示しています。そしてついにはスタジアムに仮設テントを張り、患者の隔離施設の拡充を図ったりしています。経済支援の面では、出勤が停止となった会社員の内の社会保障加入者に対しては給与の40%を支給する事を決めたようです。
更に10月に入り、12日からは感染対策を順守することを条件に縫製工場や中小企業の創業の再開を認めました。これはどの国でも取られている感染予防対策と経済対策の両立を目指したものです。
ロックダウン下で車のいないスーレーパゴダ通り<写真:The Irrawaddy>
10月7日迄となっていたロックダウンは当然の如く、21日迄延期されました。感染の状況が好転する様相は全くなかったからです。ところが21日には対策本部から延期の通達も解除の通達も出ませんでした。何も通達が出なかったという事は、21日でロックダウンが解除されたと受け取るしかない訳です。巷の噂によると、今回政府はコロナ対策より来月8日に計画されている総選挙を優先した判断をしたのではないかという事です。ロックダウンを延期すれば当然住民は総選挙への投票に出かけることが出来なくなるため、総選挙を延期せざるを得なくなりますが、そうなると、暫定政権が発足することになりますが、暫定政権は軍が担う事となるため、それだけは何としてでも避けなければならないとの判断が働いたように思われます。
期日前投票をするアウンサンスーチー国家顧問
11月8日の総選挙を無事に実施し、COVID-19の感染拡大を何とか抑えながら経済の活性化を図る事、これが現政権に課されている最重要課題と言えます。
そうした中、総選挙直前の10月下旬になって取られた措置としては、10月末までとなっていた国際線の乗り入れ禁止期限が11月末まで延期になりました。それに伴い、2018年8月1日から施行された新会社法で、株式会社の取締役の最低1名あるいは支店の代表者は年間183日以上ミャンマーに居住する事が義務付けられていますが、3月29日以降の国際線の乗り入れが禁止されて以降の日数につては日数カウントの対象外とする特例措置が取られることとなりました。しかしながら、現在ミャンマーに滞在している日本人は一度日本に帰国すると再びミャンマーに戻れないため、帰国することも出来ません。早く、かつての状態に戻るのを願うばかりです。
2020年11月12日(木)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫